残雪の那須岳(茶臼岳・朝日岳)&三斗小屋温泉
2010年4月30日(金)・5月1日(土)
レポートby熊本
クマさん会の那須岳登山は、今回が12回目となり、那須三山(茶臼岳、朝日岳、三本槍岳)と三斗小屋温泉
を残雪期に一泊で企画し、参加者は田形さん、小野寺さん、根岸さん、竹内さん、堀さん、吉松さん、
高橋文さん、高橋雄さん、熊本の9名となった。
残雪期(ゴールデンウイーク)の企画としては、01年4月28日・29日で今回とほぼ同じコースを
(ホームページ開設前で記録なし)、また04年5月1日は那須岳の最高峰 三本槍岳を日帰りで行っている。
深田久弥氏の「日本百名山」には、「那須五岳と称えられるのは、南から黒尾谷岳、南月山、茶臼岳、朝日岳、
三本槍岳を指すが、その中枢部の茶臼、朝日、三本槍をいわゆる那須岳と見なしていいだろう。茶臼は名の通り
臼型のコニーデであり、朝日は峨々(がが)とした岩の盛り上がりであるのは、かつての噴火の火口壁の名残だ
という。三本槍はその名から察して鋭い岩峰を思わせるが、実はそうではなくなだらかな頂きを・・・・・」
と書き記されている。
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今回は那須地方30日・1日とも晴れの予報 で気温も高く、最高の登山日和が期待できた。 普通列車組と新幹線経由組と分かれたが那須 塩原駅で合流し、集合場所の黒磯駅に9:11の 予定通り、全員が集まった。 快晴で陽射しが暑い。 9:20、バスは半分ほどの乗客を乗せて 定刻に出発した。 |
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バスは那須街道を那須ロープウエーに向か って快適に走る。例年ゴールデンウイーク中 は広谷地あたりから渋滞に悩まされるのだが、 今日は渋滞もなく快調である。 那須湯本で5分時間調整があり、バスの外へ 出たが、風があり、予想より寒い。 しかも那須岳の上空は黒い雲が覆っている。 大丸温泉を過ぎたころからポツポツと雨が 降り出してきた。 |
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バスは定刻10:20に那須ロープウエー山麓 駅に着いた。 18分間隔で運行しており、10:36に乗る。 ロープウエーから見上げる茶臼岳はやはり 黒い雲で覆われている。 |
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4分で山頂駅に着く。霧雨状の雨が降っており、 雨具、スパッツを着けて完全装備である。 |
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山頂駅をバックに登山開始の集合写真。
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同じく山頂駅で茶臼への登山道をバックに 集合写真 |
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登り始めは、火山礫のガレ場でここには雪は ない。 南側から山頂を目指す(11:00)。 |
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火山礫のガレ場を15分程登ると、亜硫酸ガス の噴煙で変色したところが出始め、 硫黄の臭気が立ち込めている。 |
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ガレ場を過ぎると、今度は大きな火山弾石が 重なりあった登山道となり、傾斜もきつく なる。 |
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登山道が緩やかになり岩の間から熱風が吹き 出してくると山頂は近い。 |
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正面に鳥居とその奥に小さな祠が見える。 この祠があるところが茶臼岳(1915m)の山頂 である。 11:40登頂。 |
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那須神社の祠を囲んで、茶臼岳登頂の記念 写真。晴れていれば、此処から360度の景観 を楽しみながら昼食の予定であったが、 一面のガスと霧雨で昼食は峰の茶屋まで、 お預けとなった。 |
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下りルートは山頂から北方向の峰の茶屋に 向かう。 茶臼の北面は雪がタップリと残っている。 |
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時折雪が舞い降りてくる。 |
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アイゼンを装着していないので、雪道の急な 下りは慎重に下りる。 雪は止み、周囲が明るくなってきた。 |
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真下に峰の茶屋が見える頃には雲が取れ始め、 青空が覗いてきた。 |
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12:20峰の茶屋到着。 ここでヤット昼食にする。 ここは茶臼岳と朝日岳の鞍部となっており、 風の通り道で突風が吹くところだが、今日は 全く風がなく、無人小屋の外で昼食となった。 |
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昼食している間に、上空は青空が広がり、 先程、登って下りてきた茶臼岳がクッキリと 姿を見せる。 |
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反対方向に目を転じれば、これから登る朝日岳 が姿を現した。(写真の一番奥の山) |
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昼食後、峰の茶屋で記念写真を撮り、朝日岳に 向かう。 直ぐ、急斜面の大雪渓を二ヶ所トラバース する必要があるため、全員アイゼンを装着 する。 写真で見ると正に45度の傾斜の大雪渓に見え るが実際は35度くらいの斜面であろう。 ただ道幅は前登山者が残した足跡がほぼ幅 20センチ位しかなく、もしスリップすれば、 急斜面の谷沢を何処までもスベリ落ち兼ね ない。
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熊本が先頭で渡りきり、振り返ると誰かが 大きな声を上げた。 振り返ると、根岸さんが谷底に向かって、 滑落している。 アット言う間の出来事である。幸いなことに、 40mほど滑落して止まった。声を掛けると、 起き上がり大丈夫そうだ。 |
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大雪渓を登り返すのは危険だ。少し離れた所に 雪のないガレ場の急斜面があり、そのガレ場を 直登するように声を掛ける。 急斜面の急登であるから、5m登って息継ぎが 必要だ。 |
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何とか落下地点から帰還。 次の急斜面の雪渓も慎重に横切る。 |
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二つの急斜面の大雪渓を無事亘り終え、雪が無 いと、アイゼンが邪魔になり、アイゼンを外す。 |
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今度はこの赤茶けた岩山を乗り越えなければ ならない。 鎖場が数箇所あり、「カニのタテバイ」では ないが、岩山の直登りとなる。この鎖は強風 の際に、有効であり風がなければ、特に不要 である。 |
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この「カニのタテバイ」を数回乗り越えると、 次は朝日岳を左から回りこむようになり、 今度は左手側が切れこんだ絶壁で、足場が狭く 「カニのヨコバイ」の鎖場となる。 ここも慎重に亘終え、急登りを10分登ると、 |
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尾根に出る、ここが朝日岳山頂と熊見曽根への 分岐でベンチがあり、我々も此処で一息する。 ここにザックを置き朝日岳山頂に向かう。 |
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朝日岳山頂直下の岩には下から噴上げる寒風 で凍りついた霧氷。 |
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朝日岳山頂(1896m)に14:20到着。 再びアラレが振り出し寒く、登頂の記念写真を 撮る。 |
朝日岳山頂からのパノラマ。 |
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分岐からは熊見曽根の麓までは雪解けで登山道が緩くなり登山靴が沈み込む泥だらけになる。熊見曽根の直登は10分程度でピークに着く。三本槍岳と三斗小屋温泉への分岐となっており我々は三斗小屋温泉へのコースを取る。 |
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熊見曽根から隠居倉までは尾根歩きと なる。両側が切れ込んだ瘠せ尾根で しかも、数10センチの残雪が覆って いるが、中が空洞で膝上まで潜り込み 足を取られ、体重の大きなN氏の歩いた 後は穴だらけになり、足の置き場がなく なる。 |
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30分程、瘠せ尾根を注意しながら行程差の |
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隠居倉からは急な下りとなる。 登山道の凍った雪のブリッジ。 みんなこの上を渡ったが、 |
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小野寺さんが乗ると崩れてしまった。 直前に渡ったN氏の重みでひびが 入っていたようだ・・・ |
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5分ほど下ると明るさが戻り、見通しがよく |
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残雪は1mほどの深さがあり、快適な雪道 下の方に濛々と白い煙があがり暫く近づくと |
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そこは三斗小屋温泉の源泉であった。 周囲は赤茶けた色に染まり登山道は泥濘で
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最初に煙草屋でその下に我々の本日の宿 当初予定より80分くらい遅れた到着となった。 9名が隣同士の三部屋に分散。 我々以外は3名の宿泊客のようである。 |
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夕食は17:30で温泉入浴は1時間ごとの 次に男性が冷えた体を温泉に沈め温まり、 部屋食である。 |
食事しながら明日の行程を確認する。 計画では三本槍岳の登頂を目指す予定であったが、宿の主の話では、泊り客が三本槍岳を全て中止しており登山道が今年は未踏の状態だとの話を聞き、我々も予定変更し、温泉三昧とすることにした。 |
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持参した酒は飲みつくし、ワンカップ 「栄川」を仕入れ、食後は再びコタツを 囲んで会話が弾む。三斗小屋温泉は那須 から会津へ抜ける街道の宿場町で、湯治 客で栄えたという。旅籠も数多くあった が、戊辰戦争で全て焼失してしまった 現在、三斗小屋温泉は大黒屋と煙草屋の 2旅館のみであるが、何れも明治44年 の創業とのことだ。大黒屋の由来は、 昔岩城国の富豪が大黒天の使いの白鹿に 導かれこの温泉を見つけたとの伝説が ある。その大黒天から名付けたので あろう。電気は通ってなく、ランプの宿 で登山者以外、訪れることが出来ない 秘湯中に秘湯といえる。 |
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9時消灯となるためその前に、一風呂浴びる。 |
コタツに足を入れ三方向、4方向の放射状に布団を敷き、9時の消灯と共に就寝。 |