サガルマータ紀行(トレッキング編3) レポート by 堀 コース・スケジュールはこちら |
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10月24日(土)タンボチェ〜ディンボチェ | |
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6:00起床 朝食にアメリカンブレックファスト。美味しい。 お腹も完全回復。今日も快調だ!田形さん、西村さんは昨夜、千年灸をやったそうだ。 |
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にわかにテント村が出来ている。 |
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8:15出発。今日も雲ひとつない。霜が降りている。 |
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8:35ディボチェ(Deboche)で小休止。ディンボチェではない。ディボチェだ。紛らわしい名前が多い。
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谷沿いの斜面は紅葉している。 |
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この辺り、赤く色づく潅木がある。
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吊り橋を渡る。 今の橋の下に古い橋が見える。古い橋はロープに板を渡したもの。こんなところをヤクやゾッキョが荷を背負って渡っていたんだな。怖いね。切れたらアウト。おまじないにタルチョーを結びつけるのはもっともだ。 |
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パンボチェの入口付近のチョルテン(仏塔) ここまで来るとアマダブラムが裏山のよう。でもまだ3000m近い高度差がある。 |
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パンボチェの入口 |
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標高4000m近いが、耕地が拡がり、よく耕されている。 |
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10:00パンボチェ(Pangboche)。30分後に女性陣到着。日差しが柔らかく、のどか。コーヒータイムとする。
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この谷川、イムジャ・コーラを遡る。 |
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11:40ショマレ(Shomare)標高4040mとなっている。はるか丘の上にはタルチョーがはためいている。
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後続12:20着。 昼食後、お茶を飲んでいると、茂みにダフェがいるとビソさん。中型の鳥が数羽いるようだが、よく見えない。写真を撮りたかったが、居なくなってしまった。残念! |
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イムジャ・コーラに流れ込む氷河末端の大きなモレーン(堆積) |
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ディンボチェ近くで休んでいると娘さん(と思ったが、よく見ると案外老けている)が寄ってきた。 お菓子を食べるかと聞いたら欲しかったらしい。 聞けば20代半ば、独身だそうだ。 |
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イムジャ・コーラの対岸に烏が群れている。どうやら鳥葬のようだ。昔、新聞の探訪記のような連載に『鳥葬の国』という題が付いていたのを思い出した。チベット仏教は、本来、鳥葬なのだ。まだ鳥葬が行われているんだ。 調べてみると、川喜多二郎の著作に「鳥葬の国−秘境ヒマラヤ探検記」がある。思えば1950〜60年代の京大グループは活気があったな。 ここのカラスはくちばしが赤い。下の方のカラスは普通のカラスで黒い。その後、5000m辺りでは黄色かった。少なくとも3種のカラスがいる。 |
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15:30チョルテンを張り巡らしたディンボチェ(Dinboche) のロッヂに到着。4260m、ついに4000m台に突入だ。 宿の確保に先行しているはずの、ムシ歯君(注)がいない。 彼は私の荷物を持っている。 明るく暖かいうちにシャワーを浴びたいんだが・・・ ナワンドルジュ君を捜索に出すが見つからない。
(注)「ムシ歯君」本名はダンマル君 タンボチェでダンマル君が少し遅れて到着したので、聞いたら歯痛でナムチェへ戻って歯を抜いてからタンボチェまで来たとのこと。左頬が腫れている。これ以来、「ムシバ君」ということになった。これは他のポーターやビソさんにも大受けで、すっかり定着。このダンマル君、非常に足が速い。道々、博打などで時間を潰すことあり。
1時間以上も経ってようやく到着。さっそく着替えを出して3日ぶりにシャワーを浴びる。 道は人も歩くが、ヤクやゾッキョも歩く。歩けば落し物がある。(シェルパ語で糞はダマルという) ダマルが乾燥して塵となり「粉塵」がすごい。というより「糞塵」というべきだろう。 1日歩いて、ズボンの裾をたたくとほこりが舞い上がる。 |
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このロッヂ、ダイニングルームは大きな窓がぐるりとあり、明るく清潔。親爺は日本語も少し話せる。 唐辛子の入っている容器は、なんと日本の塩の壜。専売公社(JT)出身の西村さんが喜んだ。この壜はカラ・パタールか何処かのロッヂでも見かけた。そちらは本来の塩が入っていた。
明日は高所馴化のため、ディンボチェに滞在しチュクン(Chhukung)へ散策予定。 今日は少し遅めの20:30就寝。 |
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10月25日(日)今日もまた ディンボチェ〜チュクン(往復) |
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明け方の気温2.4℃。今日は高度馴化のため、ディンボチェの宿舎からチュクンを往復する。 田形さんは、風邪の具合が悪く宿舎で休養となる。連夜、咳や鼻汁をかむ音がずっとしている。おまけに昨夜は英国女子学生の騒ぎで寝不足のはずだ。 |
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8:40出発 チュクンは海抜4730m。高度馴化には、もってこいのコースだ。 30分も歩くと、行く手正面にアイランドピーク(6160m)が見えてくる。(中央手前の山です)ナワンドルジュ君のお父さんが今ガイド中の山だ。
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アイランドピークを眺めて、バッティ(茶店)で休憩。のんびりする。 ここからはエヴェレストは山陰になって見えない。 |
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川のしぶきが凍りついている。 |
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11:20チュクン着。 昼食はガーリックスープとジャガイモ(フライドポテト) ここのジャガイモは小さいが美味しい。 ゆっくり休憩して、13:00下山。 |
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この坊やは何をしているのか? 岩陰に潜む鳥を棒でつついて捕まえようとしているんだそうだ。 |
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アマダブラムを流れ落ちる氷河。上部にヒマラヤヒダが見られる。
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14:30ロッヂに戻る。田形さんは裏山に散策に出て不在。 ダイニングでくつろぐ。 左のジュースは、セバトロン(Seabuckthorn)というカラタチの実のようなのを絞ったジュース。柑橘系の味だがオレンジより濃厚。ホットが美味しい。この辺りの特産とのこと。
昨日頼んだ洗濯物を受け取る。親爺が「自分が洗濯した」といっていたが、1ピース50ルピーで、靴下は一足、小物(半袖やハンカチ)は50ルピーより安くしてくれた。良心的。
この宿は、電気が夕食時くらいしか点かないことを除けば、とても居心地がよい。
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17:40頃、夕日に染まるアマダブラム
夕食にホットドッグとチーズオムレツを頼んだが、我々の知っているものとはだいぶ違うものが出てきた。 「ホットドッグ」ソーセージをスライスして、タマネギと一緒に炒めたもの。パンはない。慌ててトーストを別注文した。 「チーズオムレツ」 タマゴとチーズで材料は一緒だが、円盤状に薄く焼いたもの。ふんわりして、中がドロドロの玉子焼きを想像すると大違いだ。 田形さんはマッシュポテトのみ。そしてほとんど残す。あの大食いの田形さんがね。 西村さんはスープのみ。 2人とも食欲が落ちている。大丈夫だろうか? |
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10月26日(月)今日も ディンボチェ〜ロブチェ |
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6:15起床 気温2.9度 |
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田形さん、痰に血が混じるとのことで、「ロブチェへは行かず1〜2日ここディンボチェに滞在して下山したい」という。 28日か29日にタンボチェ辺りで合流することにして、ナワン君を残していく。 西村さんは元気、元気。 |
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標高が高いせいで、ライターの点きが極端に悪い。面倒で、今日は午前中1本のみ。節煙にはなる。ライターを逆さにして、手のひらにガスを貯めて点火するシェルパ式点火でどうにか着火。 |
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8:30宿を出て、ロブチェへの標識に従って山道を行く。 |
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眼下にロッヂが見える。屋根にS.F.S.L.D.とある建物の上の中央の中庭に建っているのが我々の泊っていたロッヂ。
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チュクン・リ(5546m)方面にでも行くのであろうか。一団が尾根を歩いている。遠景のピークはローツェ。 |
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タウチェ(6542m)やチョラツェ(6501m)を左に見ながら、放牧地のような草原を行く。 |
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せせらぎが凍っている。 |
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10:30おにぎり頭が見えてきた。プモリ(7145m)だ。 |
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クンブ氷河末端のモレーンが現れる。 |
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凍っている。 |
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11時、モレーンのたもとのバッティ(茶店)で昼食。 |
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昼食後、モレーンを登る。標高4600m辺り。空気も薄くなって登りが応える。モレーンを登るといくつもの小型のチョルテン(仏塔)がある。これは全てエヴェレスト登山で亡くなったシェルパの墓とのこと。(地球の歩き方−ネパール−による)
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13:00プモリが大きく見えてくる。ロブチェが近い。 |
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岩のゴロゴロした谷筋を登っていく。 |
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13:50ロブチェ(4930m)のロッヂに到着。しかし部屋がない。 ロブチェはここしかロッヂがない。どうにか部屋を確保したものの我々は、別棟のボロ小屋だ。 |
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そのボロ小屋の入口。多摩川のホームレスの小屋と変わらない?
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2階の3人1室。狭い。そしてベニヤ張り。天井はキャンバス地、壁は風除けのためか、ビニールが貼ってある。床は傾斜している。 田形さんは来ないでよかった。 食事中にデジカメの充電を頼む。2時間で700Rs。約1000円だ。ここの小屋のマネジャーの奥さん、無愛想であまり感じよくない。シェルパも奥さんが実権を持っているとのこと。どこの世界も一緒だ。 19:00就寝。 |
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