サガルマータ紀行(トレッキング編2)
レポート by 堀

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  1021日(水)ナムチェバザール滞在  

600起床 気温は8

窓からは朝日を浴びるコンデ・リが見える。

昨夜から軽い頭痛がする。

気圧は670hp、平地の2/3程度だ。

ナムチェまでは高山病は大丈夫と思って、ダイアモックスは飲んでいない。

女性陣は既にルクラから朝夕半錠ずつ飲み始めている。

体操でもしようと裏庭に出てみると、石垣に煎餅のようなものが・・・

これ、ゾッキョやヤクの糞を日干ししているところ。ストーブの燃料になるし、炊事もこの煎餅が使われる。

素手でペタペタ張っていくのだそうだ。

おいおい、その手で調理してないだろうね。

ロッジの外観。何軒かのロッジが長屋のように繋がっている。

今日は高度馴化のため、付近を散策する。中央後方、白い2つの突起はアマダブラム(6812m

右からタムセルク(6608m)アマブラム(6812m)、ローツェ(8516m世界4位)、エヴェレスト(左8848m

資料によって山の高さが違い、どれが正しいのか分からない。ここでは一応、現地の地図に記載されているものに従う。

 

丘の上にミュージアム(国立公園博物館)があるので、覗いて見る。

チベット仏教の仏画や

民具などが展示されている。

“ジョージ エヴェレストに関する記述

エヴェレストの最初の登頂者、エドモンド ヒラリーとシェルパのテンジン ノルゲイ

左の屋根がミュージアム、運動場はネパール軍の施設

小さな資料館を後にし、少し登ってゴンパ(寺)を見る

大きな岩に結び付けられたタルチョー(旗)がはためく。

この後、エヴェレスト ベーカリーで昼食を摂り、宿に戻る。

下痢をする。昨夜からの頭痛も続いている。(これは高山病だな)

夕方、下痢止めとダイアモックスを飲むことにする。

女性二人はシャワー。私は昨日で懲りてパス。

宿の近くにインターネットの店があり、ここから無事メールを送る。ネパールのこんな山の中で、すごいものだ。

夕食後、薬を飲んで早めに就寝。

 

 

        

1022日(木)ナムチェバザール〜キャンヅマ
 

 

頭痛も下痢も治まり快調。

当初の計画では、今日はシャンボチェの丘に建つホテル エヴェレスト ビューを往復し、ナムチェにもう一泊するはずだったが、それだと明後日、また同じコースを歩くことになる。

そこで、シャンボチェの先で、ナムチェと標高のあまり変わらないキャンヅマまで行くことにする。

8:15出発

町外れのマニ石のところで日向ぼっこをする母子。トレッカーからもらったお菓子を持っている。

ネパールリンドウ(ゲンティアナ・デプレッサ)を見つけた。

秋のネパールを代表する花と言ってよい。

ナムチェ周辺から4000m辺りまでの日当りのよい斜面に多く見られる。水色と白のツートンカラーが鮮やか。

 

草紅葉の下方にナムチェの町が見える

ドライフラワー化している

 

霜柱が立っている。ここは標高3500mくらいだ。

ナムチェの空港。ダートの滑走路にセスナが着陸。

以前は人も乗れたが、シェルパが大反対して、今は貨物と緊急用とのこと。

ここまで観光客やトレッカーを乗せるとルクラからナムチェの街道が全く寂れてしまう。

シャンボチェの丘へ登る途中で、右からアマダブラム、ローツェ、エヴェレスト、左はヌプツェ(7879m

10:40ホテル エヴェレスト・ビューに到着。標高3880mとある。既に自分にとっては未知の高さだ。

ホテルのガラスにクンブ・ヒマラヤの山々が映り込んでいる。

このホテル、ネパールでこれまで泊った建物とは明らかに違う。建築士が設計し、ちゃんと技術のある大工が建てたのだろう。

“ホテル エヴェレスト・ビューのテラスで、お茶を飲みながらエヴェレストを眺める”というのが30数年来の夢だった。大満足!これで80%は計画達成だ。

当時は、ルクラに飛行場などないし、カトマンドゥからキャラバンを組んで来たんだろうな。ここを立ち上げたヒマラヤ観光開発の宮原 巍〈たかし〉さんは、よくぞ決断したもんだ。

 

親子丼15j+税

ネパールでは滅茶苦茶高価だが、ほんもの!美味しい!

 

ホテルのロビーに、何故か燕山荘のタペストリーが飾ってある。

ゆっくり昼食を楽しんでからクムジュン(Khumjung)村へ。

 

屋根がグリーンに統一された美しい村だ。これも外国の援助によるとのこと。

ここから見るアマダブラムは立派だ。

クムジュンにはネパールの国鳥ダフェがいるそうだが、早朝か夕方、畑に餌をあさりに来るらしい。今は昼間だから無理かな。

下校するシェルパの生徒

ヒラリーが寄付したというHigh School

 

 

エドモンド・ヒラリーの像。ジョンウェインみたいだ。

ネパールでは鶏は放し飼いだ。雄鶏は威張っている。

クムジュン村を抜け、キャンヅマへ向かう。

ザクロのような赤い実のなる木。実は漬物にして食べるそうだ。

 

青い、可憐な花を発見!

後で調べるとキキョウ科のキアナントゥス・ミクロフィルスらしい。

1430分、キャンヅマの「アマダブラム」というロッヂに到着。正面にアマダブラムが見える。

2階から見下ろすとアクセサリーの露天が出ている。

ほっかむりしているのは、サブガイドのニンジン君(23)、ウマのお尻の方にいるのは、ポーターのナワンドルジュ君(18)。彼の父親は山岳ガイドで、今、アイランドピークに登る登山隊を案内しているそうだ。エヴェレストにも数回登っているとのこと。

*ナムチェへの登りで出会った韓国人の若い女性が、「アイランドピークへ行った日本人が、高山病になり、シェルパが背負って降り、ヘリで病院に運ばれたが、1012日に死亡した」と言っていたっけ。

ここは3500mくらい。つまみの袋がパンパンに膨れている。

酒は飲まず、つまみだけ食べる。

自家発電は早い時間で切れるし、寒いので早々に寝袋へ。

何だか近くの部屋が騒がしい。さっきダイニングルームでトランプをしていた英国の女学生のグループらしい。

どうも様子がおかしい。ゲーゲー吐いたりしているようだ。

高山病だろうか?

 

 

     1023日(金)キャンヅマ〜タンボチェ

 

5:15起床、室温7.5

昨夜の騒ぎは、女子学生4人が食中りで、2人はpm9:00頃、馬で診療所へ降ろしたとのこと。残った2人はその後も吐き続けていたらしい。

彼らは下山中なので、高山病はおかしい。

キッチンボーイを連れて自炊していたとのことだ。食材が悪くなっていたのだろうか?何が起こるかわからない。

おかげで隣部屋の田形さんは眠れなかったらしい。何しろ壁が薄いので、筒抜けだ。同室の西村さんは爆睡。彼女はどんな環境でも熟睡できるらしい。

 

 

タンボチェは強風地帯なので、風が弱い午前中に着きたいとのガイドのビソさんは言う。

7:30出発、通学の子供が「good morning」「こんにちは」
などと声を掛けて通り過ぎる。

昨日立ち寄ったクムジュン村の学校まで行くのだそうだ。
(この辺もクムジュン郡?らしい)

就学年齢は何歳か聞いたら、「決まってない」「学校まで歩いて行けるようになったら」とのことだ。
学校まで、
2時間近く掛かる。

今日のコースは、初めは下りだ。

プンキテンガの手前の村で。

持参した千代紙が活躍。

鶴を折ってあげた。

この村は、その後“千代紙村ということになった。

子供はどこでもかわいい。

右後方はポーターのペンマ君。

 

 “千代紙村から更に下りドゥードゥ・コシを左岸に渡り少し行ったところがプンキテンガ。ここからは、ドゥードゥ・コシの支流イムジャ・コーラに沿って登りが続く。田形さん「堀さんとビソさんは先に行ってください。私たちはニンジン君とゆっくり行きます」

それで先行することに。

 

快調に歩いて、11:10には今日の目的地タンボチェの入口の大きなゴンパに到着。

 

ど派手なマニ石が。

アマダブラム、ローツェ、エヴェレストが一望できる。

タンボチェは標高3867mとあるが、まだ森林限界に達していない。

 

12:40女性陣到着。田形さんは、ニンジン君にリュックを持ってもらいルンルン♪

ところで、“ニンジン君”。“クン”はシェルパ語では泥棒のことだそうだ。ニンジン泥棒だ。「やめて欲しい」と言うので、
以後は“ニンジンちゃん”となる。早く言えばいいのにね。

 

ところで、ここタンボチェのロッヂには3ベッドの一部屋しか取れない。1.5q先のパンボチェなら部屋が取れそうとのことだったが、その後、別のロッヂ(ヒマラヤビューロッヂ)に部屋が取れたので、ここに泊ることとなる。

名前の通り、眺めがいい。

時間が早いので、pmは“日なたぼっこ”

 

ここのトイレは外。

床に落ち葉が積み上げられている。

用を足したら、落ち葉を落として終わり。これはよい肥料になる。100%の有機肥料。

夜は外のトイレはいやだなと思ったら、夜間は室内のトイレが使えるとのことで、一安心。


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