サガルマータ紀行(観光編1) レポート by 堀 コース・スケジュールはこちら サガルマータはエヴェレストのネパール名であるから、カトマンドゥ観光を「サガルマータ紀行」というのはおかしいのだが、 15日の出発から16日チベットゲストハウスに到着するまでの話は、トレッキング編1を見ていただくとして、ゲストハウスで |
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10月16日(金) |
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タメル地区はツーリスト相手のお店が集まっている。 |
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こんなの誰が着るんだろう。
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夕食はネパール料理の店で。 左列手前はビソさんの甥の高校生サンギ君、左の奥 ネパールのビールで乾杯! |
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宿舎に戻ると、停電は回復していたが、時差 20:20就寝 |
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10月17日(土) |
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7:00起床 暑くなく寒くなく、いい季節だ。 |
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中庭には、大玉の柑橘類の実がなっている。 |
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外のテーブルで朝食。 私のお皿が一番少ないみたいだ。 田形さんはこの後、更にお代わりしていた。 |
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10:00タクシーで、ネパール最大のヒンドゥ教寺院、 渥美さんに案内していただく。 観光の最初が火葬場とはね。 カトマンドゥで数少ない信号機のある交差点を左折。 |
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タクシーを駐車場に待たせてパシュパティナートへ。 サンギ君も同行。今はティハールで学校は休みだ |
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野良牛がいる。ネパールではインド同様に牛は
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サルもいる。 食べ物を持っていると襲われるというのは、日本と |
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バグマティ川の川岸に並ぶ火葬台。 灰は川に流されガンジスに注ぐ。上流は身分の |
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今日はティハールの「犬の日」だそうだ。 額を割られて瀕死の犬? 眉間の赤はヒンドゥのお化粧で血ではない。 |
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まじないの印。意味は忘れた。 |
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石臼みたいだが実は男根の象徴だそうだ。 |
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壁画の解説をするサンギ君。 右は孫悟空のモデルになったといわれる神の使い |
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よく見ると象やら蛇やら。
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火葬場の裏手は 身寄りのない人や面倒を見てもらえない人を収容 渥美さんに寄れば姥捨て山。その隣が火葬場とはね。 |
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養老院の慰問団。踊り好きのおばあさんが一緒に |
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チベット仏教の聖地ボダナートの巨大なストゥーパ ここには多くの亡命チベット人が住んでいるそうだ。 渥美さんは、ヒンドゥ寺院は物乞いが多く汚いが、 |
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ストゥーパの周りにある寺院の大きなマニ車。 回すとカウント音がでる。 |
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休憩に入ったレストランの屋上から見ると巨大な |
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目を転じると、付近のビルにはタルチョーが |
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仏教寺院なのにヒンドゥの神様も祭られている。 |
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ストゥーパの台座を登って。 |
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ティハールの神様をお迎えする飾り付けをした商店。 ティハールは“光の祭り”といわれ、 |
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田形さん、「睡眠不足で眠い」というので、 写真の建物はシヴァ寺院。17世紀に建てられた。
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音楽祭があるとかでステージが作られている。 YAMAHAの名前が見える。 ステージの前に果物を並べて売る人が。 |
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この、木彫りがすごい建物は、「クマリの館」。 クマリは少女の生き神様。 どう見てもただのガキだがね。 ここのクマリは権威が高く、国王といえどもひざま 昨年、王政が廃止されクマリの権威も揺らぎつつ |
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カーラ・バイラヴという石像。 |
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マヘンドラ博物館(左)。
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お茶を飲みに入ったビル。 |
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屋上の喫茶からみた道路に2列に並んでいるのは 2〜3人乗りは当たり前。 |
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屋上からはヒマラヤも見える。 |
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庶民の街、アサン・チョーク周辺 鯉に似た魚を売っていた。 |
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肉も売っているが、去勢した羊でなければ食べては |
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マリーゴールドの花を下げ、ろうそくを灯したお店。 中央はどう見ても仏像だが、ティハールはヒンドゥ |
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チベットG.H.に戻り、一人で街を歩いてきた グリーンプラネット社のプレジデントである。 最近、社長の椅子を買ったとかで満足げ。 いよ〜、青年実業家!
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ティハールなので、ヒンドゥ伝統の化粧をして記念 |
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食事に出かけると、鼓笛隊の行進に出合った。 ティハールは、ネワ−ル暦によっており、ネワール *ネワール=カトマンドゥ盆地に都市文明を築いた民族 |
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カトマンドゥに「ふる里」というお店がある。 話題づくりに行ってみたが、満席だった。 そこで、今日は同じく日本レストランの「桃太郎」
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「すき焼き風うどん鍋」ビールはネパールの あっさりした味です。 22:00ホテルへ戻る。
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