20091015日〜115

サガルマータ紀行(トレッキング編1)
レポート by 堀

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西村さん、田形さん、堀の
3人、無事トレッキングを終えて115日(木)早朝、関西空港に帰国。撮影した写真は、

堀の分で700枚を超え、スライド・ショーを見るだけで約2時間掛かった。さて、これをどうレポートに纏めたものか?

普通は初日から順を追ってレポートするのがクマさん会の常道ではあるが、それだと何日も山にたどり着かない。

書くのも大変だが、読む方はもっと大変そうだ。そこで、「トレッキング編」と「観光編」に分けて、先ずは「トレッキング編」

からスタートさせます。

 

10月15日(木)
関空へ 

田形さんが搭乗手続きぎりぎりで駆け込んで、関空へ無事に出発。決算で申告手続きやら何やら、ギリギリまで大変だったそうだ。

機中で鵜飼さんが送ってくれたトレッキングinヒマラヤ“を再読する。

1850分関空着。預けた荷物が出てくるのを待ちながら、もう一人の参加者、西村さんに電話を入れる。

 
西村希志子さん

彼女は鹿児島から伊丹経由で、早くから来ているはずだ。

到着出口で手を振っている西村さんらしき人を発見。彼女とはこれが初対面だ。030の出発まで、顔合わせに先ずはビールで乾杯!

見るからに気さくな人のようで一安心。

am4:00経由地のバンコク着。時差が▲1hなので日本時間では5時だ。

カトマンドゥへの便は6時間半後なので、待ち時間に女性二人は、タイ式マッサージへ。

 

 カトマンドゥへ

1035分バンコクを後にし、一路、カトマンドゥへ。

3時間ほども、飛んだであろうか。ヒマラヤの峰々が見える。雲より高く聳える姿は、素直にすごい。1245分(バンコクとの時差2h15min)ネパール唯一の国際空港トリブヴァン空港に到着。

タイ航空の客室乗務員からランのコサージュをもらう。

入国手続きを済ませ、ロビーに出ると西村さん旧知のガイド、ビソさんが出迎えてくれた。

空港から車で宿舎の「チベットゲストハウス」へ。ひどい道、センターラインも信号機もほとんどない。
一部は簡易舗装されているが、ホコリがすごい。

「チベットゲストハウス」別館の一室。割と広い。建て付けが悪く、ドアを閉めるのに一苦労。17時には早くも最初の停電。さっそくローソクでの風呂となる。

 
今日は1016日(金)。

    

 
 

17,18日は観光予定だ。

カトマンドゥはヒンドゥのお祭りティハールで賑わっているが、ここで一気に1019日トレッキングの話に飛ぼう。

 
1019日(月)トレッキングスタート 

415起床。パッキングをし直す。いらない荷物はトランクに詰めて宿に預ける。
自分で持つもの、ポーターに運んでもらうものを分ける。

720タクシーで国内線空港へ。

空港はトレッカーであふれている。

トリブヴァン空港が出来るまでは、この空港が国際空港だったそうだ。ほとんど何の設備もなく、アナウンスも何もない。

No smoking”の張り紙の下に灰皿があり、タバコを吸っている。これがネパールか?

830発のYeti(雪男)エアは、

遅れて1035ようやく離陸。ここでは予定日に乗れるだけで幸運。

カナダ製の双発プロペラ機、ツインオッターでルクラへ。未舗装短距離の滑走路でもOKというローカルコミューター機。日本では離島航路で使われていたが、2006年奥尻島路線の廃止で無くなった。定員19

操縦席と客室の仕切りは無い。

単発では心配だが、双発だからまあ大丈夫だろう。

飛行中、脚は出しっぱなし。下を見ると山の上まで、段々畑が続いている。標高3000m近い。

1130分ルクラ(LUKLA) 着。200mほどの急傾斜な滑走路に、谷側から激突するように着陸。(実際に激突して死者も出ている)

数年前までは未舗装だった。

ルクラは標高2800m強。既に日本アルプス並。先ずは空港近くのSunrise Hotelのレストランで昼食。

さあ、出発。紫外線対策で怪しい扮装の西村さん。

1250ルクラ発

 

ガイドのビソさん、サブガイドのニンジン君、ポーター3名と我々。

ニンジン君は綽名かと思ったら、ニンジン・シェルパという本名。

最初は下り坂から始まる。

トリカブトやフウロソウ、

ヤマハハコに似た花が咲いている。

山道は生活道路なので、山ほど荷を背負ったポーターやゾッキョが行き来している。

ゾッキョはチベット牛とヤクの一代雑種のオスで、去勢されていて大人しい。

無気力そうな優しい目をして、追い立てられてもただ黙々と歩いている。(俺も最近までゾッキョしてたなぁ)

 

通りがかりの村では、子供達が踊ったり歌を歌ったりしてお小遣いをねだっている。まだティハールが続いている。

シェルパはほとんどが仏教徒でヒンドゥじゃないはずだが・・・

仏教は他の宗教に寛容なのだ。

大きな吊り橋を渡る。以前は、竹の橋で危険だったようだが、援助で立派な吊り橋になっている。こういう国際援助は歓迎される。

数十メートル下を流れるのはドゥードゥ・コシ。ドゥードゥとはミルクのこと。激流だが濁流ではない。氷河の溶けた青みがかった水が白く泡立っている。

 

パクディン村のマニ車を廻す田形さん。ご利益がありますように。

大きなマニ石。「オン・マニ・ペメ・フム」とか何とかチベット仏教の経典が書いてあるそうだ。左回りに通るのが決まりだ。

ここのケーキ屋さんで一休み。

2人はよく食べる。

その後“アキノる”(お腹がすいて力の出ないこと)という新語も出来た。

今日の宿はチュモアの手前のトクトク(Tak Tok)

新築のしゃれた外観だが、中はかなりひどい。トイレの排水が詰まって、二階から階下に水漏れしていた。

 

ここは2800mくらい。明日のナムチェ(Namche)は3400m

高山病が心配なので、ビールは今日までとし、暫くは禁酒だ。

 

 

1020日(火) トクトクからナムチェ・バザールへ

 

545起床

今日は登りだ。水の音が聞こえると思ったら、近くに滝がある。2段に落ちている。

こんな石段が各所にあるが、ゾッキョやヤクは、

こんなところも上がっていく。

橋を越え、

ドゥードゥ・コシを遡っていく。

ジョルサレ(Jorsale)の入口、

モンジョ(Monjo)に国立公園のゲートがある。

 

1010少し早いが昼食休憩とする。注文してから出来上がるまで30~60分、

時間が掛かるので、食べる頃には結構いい時間になっている。

ナムチェの少し手前で、初めてのエヴェレスト・ビューポイントがある。ここではみんな立ち止まるので、ミカンを売っている。

左はエヴェレスト、右はローツェ。13時だ。

この目でエヴェレストを見るという目標は達成だ。

ヒマラヤ五葉松?のマツボックリ。巨大だ!

早くもアキノッて、カロリーメイトをパクつく田形さん。

 

登り道をビスタリ、ビスタリ(ゆっくり、ゆっくり)

14時過ぎ、ナムチェの入口に着く。

ナムチェ・バザールはシェルパ最大の町で、急な斜面に展開している。ガイドブックでは3440mと記されている。

洗濯している脇をゾッキョが通り抜けていく。

ニンジン君はこの辺には知り合いが多い。

ナムチェの宿。狭いベッドに毛布が2枚。寝袋無しでは寒い。

部屋の窓からはコンデ・リ(kngdi Ri)が見える。地図によると6187mだ。巨大で、そして高い)

ところで、少し前にシャワーを浴びたが、やっとお湯が出たと思ったら水になる。お蔭ですっかり風邪をひいた。300ルピー返せ!

明日は高所馴化のためナムチェ滞在です。

 

 
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