2009年10月15日〜11月5日
サガルマータ紀行(トレッキング編1)
レポート by 堀
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西村さん、田形さん、堀の3人、無事トレッキングを終えて11月5日(木)早朝、関西空港に帰国。撮影した写真は、
堀の分で700枚を超え、スライド・ショーを見るだけで約2時間掛かった。さて、これをどうレポートに纏めたものか?
普通は初日から順を追ってレポートするのがクマさん会の常道ではあるが、それだと何日も山にたどり着かない。
書くのも大変だが、読む方はもっと大変そうだ。そこで、「トレッキング編」と「観光編」に分けて、先ずは「トレッキング編」
からスタートさせます。
10月15日(木) 関空へ |
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田形さんが搭乗手続きぎりぎりで駆け込んで、関空へ無事に出発。決算で申告手続きやら何やら、ギリギリまで大変だったそうだ。 機中で鵜飼さんが送ってくれた”トレッキングinヒマラヤ“を再読する。 18時50分関空着。預けた荷物が出てくるのを待ちながら、もう一人の参加者、西村さんに電話を入れる。 |
西村希志子さん |
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彼女は鹿児島から伊丹経由で、早くから来ているはずだ。 到着出口で手を振っている西村さんらしき人を発見。彼女とはこれが初対面だ。0:30の出発まで、顔合わせに先ずはビールで乾杯! 見るからに気さくな人のようで一安心。 |
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am4:00経由地のバンコク着。時差が▲1hなので日本時間では5時だ。 カトマンドゥへの便は6時間半後なので、待ち時間に女性二人は、タイ式マッサージへ。
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カトマンドゥへ | |
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10時35分バンコクを後にし、一路、カトマンドゥへ。 |
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3時間ほども、飛んだであろうか。ヒマラヤの峰々が見える。雲より高く聳える姿は、素直にすごい。12時45分(バンコクとの時差2h15min)ネパール唯一の国際空港トリブヴァン空港に到着。 |
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タイ航空の客室乗務員からランのコサージュをもらう。 入国手続きを済ませ、ロビーに出ると西村さん旧知のガイド、ビソさんが出迎えてくれた。 |
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空港から車で宿舎の「チベットゲストハウス」へ。ひどい道、センターラインも信号機もほとんどない。 一部は簡易舗装されているが、ホコリがすごい。 |
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「チベットゲストハウス」別館の一室。割と広い。建て付けが悪く、ドアを閉めるのに一苦労。17時には早くも最初の停電。さっそくローソクでの風呂となる。 |
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17,18日は観光予定だ。 カトマンドゥはヒンドゥのお祭り”ティハール”で賑わっているが、ここで一気に10月19日トレッキングの話に飛ぼう。 |
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10月19日(月)トレッキングスタート |
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4:15起床。パッキングをし直す。いらない荷物はトランクに詰めて宿に預ける。 自分で持つもの、ポーターに運んでもらうものを分ける。 |
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7:20タクシーで国内線空港へ。 空港はトレッカーであふれている。 |
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トリブヴァン空港が出来るまでは、この空港が国際空港だったそうだ。ほとんど何の設備もなく、アナウンスも何もない。 “No smoking”の張り紙の下に灰皿があり、タバコを吸っている。これがネパールか? |
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8:30発のYeti(雪男)エアは、 遅れて10:35ようやく離陸。ここでは予定日に乗れるだけで幸運。 |
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カナダ製の双発プロペラ機、ツインオッターでルクラへ。未舗装短距離の滑走路でもOKというローカルコミューター機。日本では離島航路で使われていたが、2006年奥尻島路線の廃止で無くなった。定員19人 |
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操縦席と客室の仕切りは無い。 単発では心配だが、双発だからまあ大丈夫だろう。 |
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飛行中、脚は出しっぱなし。下を見ると山の上まで、段々畑が続いている。標高3000m近い。 |
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11時30分ルクラ(LUKLA) 着。200mほどの急傾斜な滑走路に、谷側から激突するように着陸。(実際に激突して死者も出ている) 数年前までは未舗装だった。 |
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ルクラは標高2800m強。既に日本アルプス並。先ずは空港近くのSunrise Hotelのレストランで昼食。 さあ、出発。紫外線対策で怪しい扮装の西村さん。 12:50ルクラ発
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ガイドのビソさん、サブガイドのニンジン君、ポーター3名と我々。 ニンジン君は綽名かと思ったら、ニンジン・シェルパという本名。 最初は下り坂から始まる。 |
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トリカブトやフウロソウ、 |
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ヤマハハコに似た花が咲いている。 |
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山道は生活道路なので、山ほど荷を背負ったポーターやゾッキョが行き来している。 ゾッキョはチベット牛とヤクの一代雑種のオスで、去勢されていて大人しい。 |
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無気力そうな優しい目をして、追い立てられてもただ黙々と歩いている。(俺も最近までゾッキョしてたなぁ)
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通りがかりの村では、子供達が踊ったり歌を歌ったりしてお小遣いをねだっている。まだティハールが続いている。 シェルパはほとんどが仏教徒でヒンドゥじゃないはずだが・・・ 仏教は他の宗教に寛容なのだ。 |
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大きな吊り橋を渡る。以前は、竹の橋で危険だったようだが、援助で立派な吊り橋になっている。こういう国際援助は歓迎される。 |
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数十メートル下を流れるのはドゥードゥ・コシ。ドゥードゥとはミルクのこと。激流だが濁流ではない。氷河の溶けた青みがかった水が白く泡立っている。
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パクディン村のマニ車を廻す田形さん。ご利益がありますように。 |
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大きなマニ石。「オン・マニ・ペメ・フム」とか何とかチベット仏教の経典が書いてあるそうだ。左回りに通るのが決まりだ。 |
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ここのケーキ屋さんで一休み。 2人はよく食べる。 その後“アキノる”(お腹がすいて力の出ないこと)という新語も出来た。 |
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今日の宿はチュモアの手前のトクトク(Tak Tok)。 新築のしゃれた外観だが、中はかなりひどい。トイレの排水が詰まって、二階から階下に水漏れしていた。
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ここは2800mくらい。明日のナムチェ(Namche)は3400m。 高山病が心配なので、ビールは今日までとし、暫くは禁酒だ。 |
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10月20日(火) トクトクからナムチェ・バザールへ
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5:45起床 今日は登りだ。水の音が聞こえると思ったら、近くに滝がある。2段に落ちている。 |
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こんな石段が各所にあるが、ゾッキョやヤクは、 こんなところも上がっていく。 |
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橋を越え、 |
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ドゥードゥ・コシを遡っていく。 |
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ジョルサレ(Jorsale)の入口、 モンジョ(Monjo)に国立公園のゲートがある。
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10:10少し早いが昼食休憩とする。注文してから出来上がるまで30~60分、 時間が掛かるので、食べる頃には結構いい時間になっている。 |
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ナムチェの少し手前で、初めてのエヴェレスト・ビューポイントがある。ここではみんな立ち止まるので、ミカンを売っている。 左はエヴェレスト、右はローツェ。13時だ。 この目でエヴェレストを見るという目標は達成だ。 |
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ヒマラヤ五葉松?のマツボックリ。巨大だ! |
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早くもアキノッて、カロリーメイトをパクつく田形さん。
登り道をビスタリ、ビスタリ(ゆっくり、ゆっくり) |
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14時過ぎ、ナムチェの入口に着く。 |
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ナムチェ・バザールはシェルパ最大の町で、急な斜面に展開している。ガイドブックでは3440mと記されている。 |
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洗濯している脇をゾッキョが通り抜けていく。 ニンジン君はこの辺には知り合いが多い。 |
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ナムチェの宿。狭いベッドに毛布が2枚。寝袋無しでは寒い。 |
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部屋の窓からはコンデ・リ(kngdi Ri)が見える。地図によると6187mだ。巨大で、そして高い) ところで、少し前にシャワーを浴びたが、やっとお湯が出たと思ったら水になる。お蔭ですっかり風邪をひいた。300ルピー返せ! 明日は高所馴化のためナムチェ滞在です。
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