いつもは山に登り丘陵をハイキングしているクマさん会ですが、五反田「古里」塩野和子さんの
計らいと、陶工今井清秀、範子さんご夫妻のお誘いにあまえて備前の里へ行きました。
(範子さんは塩野和子さんの妹さんです。)
 11月3日(金)、4日(土)、5日(日)の三日間、塩野さん、山内さん、小野寺さん、
竹内さん、そして吉松の五人は欲張りな旅を楽しんでまいりました。
第一日(11月3日 文化の日 金曜日 快晴)
早朝7時50分羽田空港発の全日空機に
搭乗し、9時過ぎには早くも岡山空港に
到着。
岡山空港では今井範子さん手配による
観光タクシーが我々五人をいまや遅しと
待っていました。
運転手さんは大変親切な方でありました。
最初に訪れたのは吉備路風土記の丘。
吉備地方は早くから大きな集落ができて
栄え、多くの古墳がつくられています。
のちには国分寺や国分尼寺が置かれた
重要な地だったそうです。
備中国分寺五重塔の美しさはどうですか。
かの有名な平山郁夫画伯が五重塔を
お描きになったという、まったく同じ場所
からシャッターを切りましたらかくも美しい
構図の写真となりました。
この辺りでは土器片や焼き物が多く出土し、
こうもり塚古墳のほかに、作山古墳、
造山古墳など大小さまざまな古墳があり、
玉、鏡、武器などの副葬品が多く見つかって
います。
吉備路郷土館ではそのようなことが展示
説明してありました。
北西に車は走り、総社市 宝福禅寺を訪問。
「雪舟和尚が小さい頃、和尚に折檻されて
寺の柱に括りつけられました。
しばらくして和尚が様子を見に行ったら、
雪舟の足元にねずみがいたのでびっくり
仰天してしまいました。
ところが、よくよくそのねずみを見ると床に
描かれたものでした。
雪舟が足の指を使って流れ落ちる涙で
ねずみの絵を描いたものでした。」・・・
というご存知の説話のあるお寺です。
禅寺よりも雪舟和尚よりも昼飯とばかりに、
隣接する閑静な般若院に上がりました。
何はともあれ般若湯をグビグビ、グビグビ、
グビグビと飲んでから、折敷の精進料理を
堪能いたました。
「なんだかんだといっても、おいしいものを
食べるのが一番よね、オホホホホホ」
東に車を走らせて、旧足守藩の町並みや
侍屋敷、近水園(旧藩主庭園)を見学。
足守藩藩主は、秀吉の北の政所「ねね」が
ここの家系から出たことが幸いして木下姓
である。
明治大正期の歌人、木下利玄(としはる)氏
は14代当主だそうだ。
江戸時代には緒方洪庵がこの藩から出て
いる。
写真は江戸時代末に造られた商家の一角。
山陽自動車道をしばらく東に走り、
特別史跡「閑谷学校」を目指しました。
備前のインターチェンジを降りて、しばらく
して目の前に飛び込んできたのは
備前焼瓦で葺かれた壮大な閑谷学校の
建物群。
江戸初期に建てられたこの藩校は、現在
国宝や重要文化財に指定されているそう
ですが、その美しさにしばし圧倒させられ
ました。
集合写真のバックに写るのは、鶴鳴門
(正門)。
写真は入母屋作りの講堂
床が高くて誰一人足が届きません。
写真は閑谷神社ですが、神社の左隣には
孔子像を祭る聖廟があります。
写真は、明治以降中学校、高等学校として
使われてきた建物だが、今は閑谷学校
資料館として保存されて、貴重な歴史資料
が展示されている。
「やっぱり来てよかったなア――――!」
と談笑する女性達。
閑谷学校をあとにして、一路今井清秀宅に
向かいました。
今回の旅では今井夫妻のご好意により
ご自宅に一泊させていただくことになりました。
清秀氏はクマさん会会員には言わずも
知れた備前の高名な陶工。
邸宅内には作品が生活の一部となって
あちこちにさりげなく置かれているのです。
勿論食器類はすべて備前。
備前に盛られた奥様範子さんの手料理を
頂きながら、酒と話に時を忘れて結局
夜半過ぎまで盛り上がってゆくのでありました。
(閑話休題)
 塩野和子さんが変身しました。デジカメ撮影の鬼となったのです。
原因は竹内さんの手取り足取りのご教授にあります。旅すがら撮影のイロハから始まって
徹底的に極意を叩き込み、最後には口答試問までして鍛え上げたのです。
今井邸夕食写真をとくとご覧あれ。
な、な、なんと塩野さんが写ってはいないではないですか。
塩野さんが自ら進んで撮ったのです。

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11月3〜5日 岡山 備前焼ツアー
      (吉松 記)